こんにちは、塩っぺです。
今回は福岡市城南区にある不自然な2本の道路の話です。
鳥飼から始まる平行道路
六本松から西に進み、別府橋の手前から側道に入ります。
辿り着くのは城南区役所の辺り。区役所を挟んで南北に1本ずつ、同じくらいの道幅の道路が走っています。
実際に行ってみると。
⬇北側。
昔ながらの商店が並んでいます。なんだか下町感のある雰囲気です。建物もところどころ木造で年季が入っています。
⬇南側
別府橋の下をくぐると学習塾があります。あとはスポーツクラブなど。
どちらも片側一車線の道路です。南側のほうが右折レーンがあったり、広めの歩道があったりします。
ただ、しばらく進むとどちらもあまり変わらない道幅になります。
2つの道路の行き着く先は…?
北側の道路の終点
城南区役所前を始点に、原通りと交差する「弥生2丁目」まで続いています。
道幅はほとんど均一で、一部右折レーンのため全3車線になる以外は変化しません。
南側の道路
こちらは北側の道路の終点である弥生2丁目付近を通り越し、南庄、愛宕を通過し姪浜駅まで続いていきます。
ついでに東向きを見てみます。前項では便宜上、別府橋下から西側についてのみ触れましたが、南側の道路には東側も存在します。
最初の地点から東にいくと、油山観光道路と交差する「六本松4丁目南」へとたどり着きます。道路としてはここで突き当たりになりますが、地図上では不自然なカーブを描く別の道が続いているのが確認できます。
以降は筑肥新道と交わり、平尾、那の川、美野島を経由して博多駅へとたどり着きます。
紐解くカギは「梅光園緑道」に
六本松4丁目南交差点から入ることができる遊歩道「梅光園緑道」の入口にはこんな立て看板があります。
「この緑道は旧国鉄筑肥線跡地の一部です」
今回のテーマを紐解くカギはこの旧国鉄筑肥線が握っています。梅光園緑道が接続する道路はかつて線路だった場所なのです。
旧国鉄筑肥線とは…
博多駅から美野島(駅名は蓑島の字を当てていた)、高宮、小笹、鳥飼、西新を経由して姪浜に繋がっていた路線がありました。
僕が生まれるはるか昔、福岡市地下鉄が開業する1983年まで運行していた路線です。
地下鉄の開業により廃止となり、線路跡を活用して新しい道路とし、筑肥新道という名のもとに整備されました。
ざっと40年ほど前の話なので今ではすっかりその面影は失われたものの、筑肥新道も含めた線路跡の道には名残と思しき道路構造などが残っています。
博多〜筑前蓑島
博多を出発した列車が筑肥線に進入するのはこの辺りから。ちょうど妙な感じで立体交差をくぐる分岐がある辺りでしょうか。
ここで分岐し、美野島方面へと緩やかなカーブを描きます。ファミリーマートと右奥に見えるガードレールの間に遊歩道の入り口があり、それがまさに線路後になります。
そこから入り進んでいくと、遊歩道の出口付近には当時のホームを再利用したモニュメントがあります。駅名が書かれた立て看板のみなので、当時を知らない人が見たら首を傾げることでしょう。
そして駅跡を出た先でPanasonic前の陸橋をくぐります。
(ここをディーゼル機関車が走っていたそうです。今は改修されましたが、10年前くらいまではススの跡があったんです)
筑前蓑島〜筑前高宮
筑前蓑島駅を出てからもカーブは続き、大楠を通り抜けて日赤通りにぶつかります。
ここから出てきて
一蘭の方へと続くわけです。
ちなみにここ、よくパトカーが一時停止を見張ってるので気をつけましょうね。
ここからさらにまっすぐ行って、現在のサニー那の川店がある場所に筑前高宮駅がありました。
当時から西鉄電車がありましたが、西鉄高宮駅は当時から名前は変わらず。「高宮駅」とだけ言って待ち合わせをし、別々の「高宮駅」にいて会えなかったなんてエピソードがありそうですよね。
筑前蓑島〜筑前高宮までの間は片側一車線の道路にしては歩道があまりにも不自然に広い気がします。もしかすると複線だったか備品置き場だったかで広く線路用地を取っていたのかもしれませんね。
筑前高宮〜小笹
ここから先、筑肥新道の北側には百年橋通りに接続する旧道が現れます。当時は線路と並行して通っていた道路だったんでしょうね。旧道と線路は途中交差しながら小笹までの道を共にします。
道路との間にある妙な段差は、線路のために嵩上げした名残なんでしょうか?
小笹の交差点に差しかかる辺りが当時の駅だったようです。いまの小笹公園は当時の駅前広場的なものだったのかも知れませんね。
写真左側に見える階段、今となっては何のためのものかわからなくなっていますが、これも当時の名残のようです。
その階段の下に駅があり、上には小笹団地があります。おそらく団地の住民が駅を利用するときにはこの階段を使用していたのでしょう。
ちなみにその南側、マルキョウをはじめとした商店が並ぶエリアがあります。日中は渋滞するためあまり通りたくは無い道です。
おそらく小笹団地の住民が買い物をする商店街として栄えていたんだと思います。
現在ではあまりアクセスの良い場所とは言えませんが、なぜこんなところに巨大な団地があり、そしてなぜ商店街があるのかも、鉄道があったと知れば頷けますね。
小笹~鳥飼
小笹駅を出ると旧道と筑肥新道は合流し片側2車線の道路になり、それを梅光園まで進むと冒頭で紹介した梅光園緑道が見えてきます。
小笹方面からだと右側、少しわかりにくいのですがモニュメントがある場所から遊歩道になっています。実はこの遊歩道、旧筑肥線の跡が最も多く保存されているスポットなんです。
旧国鉄の敷地をそのまま遊歩道にしたため、花壇に使われている木材が線路の下に敷いてあった枕木だったりします。
また、旧国鉄の敷地だったことを示すための境界杭もいくつか残っています。
カタカナの「エ」のようなマークが彫ってあるこれ、鉄道のレールを切ったときの断面図がもととなっているそうです。
この鉄道杭は遊歩道の両端にところどころ残されています。あまり目立つものではないので見つけるまで少し時間がかかると思いますが、なんとも面白いものなのでぜひ探してみてください。
この遊歩道を抜けると冒頭の六本松4丁目南交差点に接続して、旧鳥飼駅があった城南区役所へと続いていきます。
鳥飼~西新
旧鳥飼駅は現在の城南区役所があった場所にありました。今回の疑問を持つきっかけとなった「2本の並行する道路」の起点がこのあたりになりますが、その疑問に対する答えは「北側が線路に並行して走る道路、南側が線路」ということになります。
これで北側の道路に少し古めの建物が並んでいたかもなんとなく想像ができますね。おそらく「城南区役所北口」バス停付近には駅前商店街のようなものがあったものと思われます。
この先同じような道幅が姪浜駅付近まで続きます。このまま新開橋交差点まではほぼ一直線の道路、その途中少しだけ左に膨らんでカーブする箇所があります。
昭代のファミリーマートのあたり、ここが旧国鉄時代の西新駅でした。現在の地下鉄西新駅からは南西方向へ1.3km離れています。
線路こそなくなりましたが、この土地が未だに旧国鉄とかかわりがあることをうかがわせるものがありまして.
それがこの2店舗。建っている場所はまさに旧西新駅の場所なんですが、ファミリーマートはJR九州リテール株式会社が事業主です。JRの主要駅にも展開していますね。
そしてドラッグイレブンもかつてはJR九州グループに属した会社でした。(2020年よりツルハグループとなりました。)
そしてこの2店舗を挟むように建つマンションもJR九州グループの分譲マンションMJR、JR九州グループの有料老人ホームSJRです。どちらを向いてもJR九州という状況です。
周辺の資材置き場か何かに鉄道杭が1つ残っているという噂もありましたが…それは見つかりませんでした。
西新~姪浜
長かった旧線路跡探訪もいよいよラストスパート。西新駅を出ると、廃線前に運用終了した筑前庄駅を通り過ぎ、室見川を渡り、姪浜駅に合流していきます。
この辺りも道路幅とは不釣り合いなくらいの広い歩道が整備されています。周辺には学校もいくつかあり通学路にもなっているので、歩くときは安心です。
そして線路跡は室見川に差し掛かります。この橋の名前が「室見川筑肥橋」というところや欄干にあしらわれた車輪の模様からも、ここが旧筑肥線跡だとうことが伺えます。
橋を越え、右手にセブンイレブンが見えてくるとまもなく現存線路との合流の合図です。
セブンイレブンの奥にある茶色の建物と不自然に曲がった側道があります。ここを通って筑肥線の線路は、姪浜駅へとたどり着きます。
筑肥線創業当初は合流ではなく単なるカーブでしたが、地下鉄空港線との分岐が必要となり支線のような扱いになったんでしょうね。ちなみに茶色の建物は福岡市地下鉄の関連施設です。
おさらい
今回は福岡市城南区を通る2本の並行道路から、旧国鉄筑肥線の歴史に迫りました。不自然なカーブ、不自然な道路形状、不自然な合流など、普段当たり前に通っているから見落としがちな「不自然」には歴史の名残が隠れていることが多いようです。
「なんでこの道路はこんなに不便な形なんだろうか?」
そう思ったら古地図を開いてみるといいかもしれませんね。
ちなみに旧国鉄筑肥線が廃線になったのは、福岡市内に自動車が普及したために踏切周辺での渋滞が激化したからというものだそうです。
博多駅から出発して、渡辺通り、高宮通り、油山観光道路、早良街道、原通りなど主要な大通りを横切るわけですから、この廃線は起きるべくして起きたものだったのでしょうか。
ちなみに廃線後の周辺住民の移動手段は、西鉄バスの代替路線が担いました。姪浜駅から天神北へ行く行先番号7番、藤崎から城南区役所、小笹、平尾を経由して博多駅まで走る69番などは線路跡をルートとして走っています。
1つの交通手段がなくなればまた新しいものに取って代わられる。盛者必衰の理とは言いますが、ライドシェアが叫ばれる昨今、他人事ではないと感じている塩っぺであります。
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