鏡は先に笑わないんだから、笑顔は自分から

乗務日誌

うわ、なんかこのお客さん、いやだ。

乗せて1分以内に直感的にそう思うお客は、大体の場合嬉しくないことが待っている。この日もそうだった。

なんだかずっと独り言を言ってる系のおばあさんだった。そんなに遠い距離じゃなかったのだけど、僕の直感がなんかヤバいと申し上げていた。こういう時は努めて無言に徹する。だってどこに地雷があるか分からないから。

なのに細い道から大通りへの交差点で事件が起こった。

僕の進行方向の信号が青になったのだが、それに気が付いていないおっちゃんが横断歩道を渡り始めてしまった。あんた、赤やで。渡ったらあかん。

そんなに太い横断歩道じゃなかったから、渡り終えるのを待っていればよかったのだが対向車が来ている。あかん。このままやとおっちゃん、轢かれるで。目の前でそんな光景はごめんである。

歩行者に対するクラクションは賛否あるが、この場合は自らの潔白よりも目の前のおっちゃんの命の方が重い。鳴らしたからって、獲物を見つけたオオスズメバチみたいに警察がどこからともなくぶっ飛んでくるわけでもないし。

ぽんっ♪

ものすごくライトなクラクションを鳴らした。会議で上司が失言してすかさず耳打ちする部下のような、鳴ったかどうかも疑わしいくらいの音量。

おっちゃんが赤信号だったと気が付き、わぁごめん!って顔をして元いた方向に小走りで戻っていって、対向車との接触は避けられた。よかったよかった、と思った瞬間…。

「何よ!クラクションなんて鳴らしてあなた、自分が鳴らされる方だったら嫌じゃないの!?ビックリするでしょう!?それを偉そうにクラクションなんて鳴らしてどういうつもり!?」

おっちゃんの安全を確保した瞬間、なぜか後部座席から怒られた。油断した。乗せた時に感じた違和感はこれだったか。

いえいえ、今のはおっちゃんの…と言いたかったけど止まらない謎の怒り。

「あなたはいつもそんな風に鳴らしてるわけ!?偉そうに何様よ。もういいわ、貴方の態度がすごく不快だからここで降ろしなさい。」

よし、これは何言ってもダメなやつだ。いつからクラクションは社会的地位によって制限がかかる機能になったのか。そしてそれ一つでこれだけ人を叱責できるってある意味才能とも言えるのではないだろうか。絶対僕は欲しくないけど。人を責め立てる才能なんて。

あおり運転に関する記事を読むと「クラクションもトラブルの元になります。不用意な使用は控えましょう」的な記述があったりする。それについては100%賛同する。実際にニュースで報道されるあおり運転の中にはクラクションが発端だったものもあった。

だけど、クラクションを鳴らして乗客が怒るなんてことはどこにも書いてなかった。

目的地はもうすぐそこではあるが、こうなっては降ろすほかない。このまま後部座席から罵詈雑言を浴びながらなんてたとえ100mであっても走りたくない。そっちから降りるって言ってくるなら願ったりだ。ということで支払いを済ませ降ろした。今のところクレームが来たという話は聞いていない。

そこからモヤモヤ第二弾が幕を開けた。

どこを走っても誰も乗ってこない。

前後を走る空車たちは乗せているのに、対向車線の空車も乗せているのに、僕のタクシーにだけ誰も乗らないまま1時間が経過した。

福岡に生きとし生ける人たちから無視される市政を挙げたフラッシュモブをされている気分だ。フラッシュモブなんて、される側が喜ぶからこそいいのだ。される側が喜ばないそれはただの嫌がらせ。ともすればいじめである。即刻中止してほしい。主催者はどこか。

そこからなんとかアプリが取れて乗せたと思ったら御年90を超えたやたらと高圧的な婆さん。

普段なら何ともない事でも、組み合わせによってはとんでもないことになる事ってあるじゃないですか。

辛いものは好きなんだけど、ワサビと唐辛子を同時に口に入れたらクソまずかったとか。ワインと焼酎でチャンポンしたら信じられないほど悪酔いしたとか。ナオト・インティライミと吉幾三がコラボしたら異世界の民族音楽が爆誕したとか。

まさにそんな感じ。お客からの罵詈雑言も、1時間を超える空車も、高圧的なお客も、単体ならなんてことはない。僕らには日常茶飯事。だけどそれが短時間のうちに一気に押し寄せてきたらさすがに嫌になる。

嫌なお客 × 長時間空車 × 高圧的なお客

きっと小峠英二もなんて日だ!って叫ぶだろう。

そうか、今日はそんな日なのか。それじゃあそんな日ってことにして、ゆるくやろう。そんな風に勝手に片付けた。テンションが上がらない日もあるよねってことで。

そのテンションのまま夜を迎えた。なんだかいつも以上に疲れた気がする。

天神ドンキ前を通ると手が挙がった。今日は韓国人観光客が多い。これで3組目だ。きっとクルーズ船が寄港しているのだろう。今回は女性2人組。

“En Hotel…,Hakata Ekimae…”

片言の英語で行先を告げるのは20代前半と思しき女性。

“I see. Do you have the address? Let me check.(住所はわかりますか?確認させてください)”

行先がホテルの時は念のため、住所を確認するようにしている。博多駅周辺なんてものすごい数のホテルがあるから。(日航ホテルみたいな大きいところは除く)

駅前3丁目という確認が取れたので出発する。韓国語だから内容は分からないが、楽しそうに話している。国籍を問わず、後部座席で話が弾んでいるのを聞くのは好きだ。

あっという間に到着して「あそこだよ(英文は割愛)」と教えると「わぁ!もう着いた、そうそうここ~!」的なリアクション。ホテルに着いただけでも上がるテンション。よっぽど旅行が楽しいんだろうな。

支払いを済ませて降りると”Bye!”と満面の笑みで手を振ってくれた。僕も手を振り返す。彼女の笑顔につられて、一切の職務を放棄していた僕の表情筋が一斉に動き出すのを感じた。荒んでいた心がパッと晴れたような気がした。

今日、初めて笑ったかもしれない。

そういや、今日自分、ものすごく暗かったな。

そんな顔してたらそりゃあ嫌なことも続くわな。

痛み止めを飲んでも
消えない胸のズキズキが
些細な誰かの優しさで
ちょっと和らいだりするんだよな

Mrs. GREEN APPLE『ケセラセラ』

ふとMrs.GREEN APPLEの曲が頭に浮かんだ。お客さんの笑顔って、些細だけど、やっぱり嬉しい。お客さんは鏡だ。鏡は先に笑わない。こちらが仏頂面なら鏡だってそんな顔をする。だけど今日はお客さんが先に笑ってくれた。なんたる不覚。本来先に笑っていないといけないのは僕じゃないか。

あかん、これじゃあかん。休憩取って立て直しや。松屋で牛めし食べよ。

1時間後、ハチャメチャに元気な塩っペタクシーが街に放たれた。牛めし小盛りを食べながら『8時だヨ!全員集合』名場面集なる動画を観て2度咳こんだ。喉のHPと引き換えに正気と笑顔を取り戻した。味噌汁と全員集合は同時服用しちゃダメね。

だけどあの生放送ならではのライブ感と、昭和の時代を投影したような温かい雰囲気を観ているとホッとする。

「こんばんは!お待たせいたしました!」

「港のかもめ広場お願いしま~す、なんかこのタクシーいい匂いする~!おしゃれタクシーだ~!」

弾む会話。やっぱり仕事はこうでなくちゃ。

ありがとう、韓国から来た笑顔のお客さん。

ありがとう、ドリフターズの皆さん。

ありがとう、いつもおいしい牛めしを食べさせてくれる松屋の皆さん。

塩っペという人間を笑顔にしたいなんて意図は無いんだろうけど、図らずもあなたたちは僕を支えてくれているよ。できれば僕もそちら側になりたいなぁ、なんて。

「運転手さん、めっちゃいい人やね!きっといいお客さんを引き寄せてるよ!また乗せてね!」

そう言ってくれるお客さんのおかげで、今日もいい日でした。

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