日曜日の午後11時30分。
明日から憂鬱な月曜日ということで乗ってくる人は少ない。街も寝静まったところにGOアプリが配車依頼を飛ばしてきた。
配車を受け付けて迎車地点を確認する。早良区郊外の住宅街。普段この時間にアプリ配車を取って表示されるのはそのほとんどが近所のスナック。住宅地にピンが立つのは珍しい。
「こんな時間に…どこに行くんやろか」
そんなことを思いながらも迎車地点に到着した。人影はない。おそらく建物の中にいるのだと思った。郊外の主要道路はこの時間になると通る車はない。相棒シエンタの中に一人、暗闇の中でぽつねんと待ちぼうけ。
すると横にあった建物の扉が開いた。30代くらいの女性が後ろを気にしながら出てくる。後に続くように50代くらいの女性がヨタヨタと歩いてくるのが見えた。ちょうどこの女性の母親くらいの年齢だろう。
左手で腹部をさすり、右手には空のビニール袋。
顔色は悪く、表情は皆無。目もどこかうつろで焦点が定まらない。
僕が状況を飲み込むのと同時に娘さんが行先を告げた。
「急患センターまでお願いします。」
僕の脳はこれから、この日一番の集中を強いられることになった。
急げど揺らすな、塩っペ救急車
手に持った大きめの袋、乗車時に押さえていた腹部。
そこにどんなリスクがあるかは想像に難くない。一歩間違えば車内嘔吐、その後車庫に臨時回送して3時間の清掃は必至だ。
これが中洲で酔いちくれたおっさんとかだったらまだ責めようはある。潰れるまで飲んだあんたが悪いって。だけどこの状況。具体的な容体はわからないけど、好きで吐き気を催す人なんていないんだからおばちゃんは悪くない。なんとしても二人を、急患センターに送り届けねばならない。
両手、両足とシートに接するすべての面に神経を集中させた。
ここで最も避けるべきは振動だ。特に大きくうねるような揺れは三半規管を刺激し嘔吐を誘発する。
走り出す前に経路を確認すると、大きな右左折は最低でも4回があるが幸い1つを除いては路上のうねり等はなかった。今回敵となるのは右左折よりも路面形状のようだ。
今回走行するのは藤崎から南に伸びる原通り。大型車両も通ることからアスファルトがたわんでいる箇所が多い。直進する際には轍を踏むようにして走れば揺れは少ないが、問題は右折合流時。隆起したアスファルトは踏み方を間違えると地震でも来たかという揺れ方になる。
そこをどうやって切り抜けるかを考えつつ、静かにアクセルを踏んだ。
4年前の出来事を思い出しながら…。
思い出した母との記憶
ここから塩っペの回想に入るが、最初に断っておきたい。見出しに「母との記憶」なんて書いてはいるもののさほど仲がいいわけではない。むしろ悪い。だからこれから語るエピソードは塩っペが孝行息子だとアピールしたいわけでも、良好な親子関係を自慢したいわけでもない。
あくまで運転手としての教訓の話です。
今の妻(当時はまだ彼女)と同棲して半年くらいの頃。まだタクシー運転手ではなくて経理部の端くれだった塩っペは二人で仲よく夜ご飯を食べていた。
すると唐突に母親からの着信。聞いてみれば数時間前から眩暈と嘔吐が止まらんから夜間外来に連れて行ってくれとのことだった。
当時の住まいは城南区鳥飼。実家は南区中尾。車で行ったら30分くらいかかる。
塩「タクシーか、最悪救急車でもいいっちゃないと?」
母「だめ、あんなの乗ったら余計に吐く。あんたの運転のほうが安心」
息子を買いかぶり過ぎではないかとも思ったけど、ひとまず向かった。
実家に到着すると疲れ果てた母。僕の愛車デミオから、母のエブリイワゴンに乗り替え、後部座席に死に体と化した母親を乗せて出発。
この頃から運転には自信があった。「絶対に揺らすな」という母のリクエストに「わかってるわい」と元気に答えられるくらいには。
外環状道路を野多目から須玖北1丁目交差点まで快調に走った。緊張はしていたもののアクセルワークからハンドリング、停止ショックに至るまで徹底的に揺れを排除した。
その甲斐あってか、母は落ち着いていた。
全てが完ぺきだった。だからこそ気が緩んだ。
対向車の流れがなかなか途切れず、やっとできたわずかな間合い。そこにねじ込むように右折したせいで歩道の段差を見落とした。
大きく揺れる車体、それと同時に激しくえずく母。
一瞬でも気を緩めた自分のせいだと思うと悔しかった。
ちなみに母はメニエールだった。
深夜の急患センター
回想から戻って先ほどの車内。4年前の苦い思い出を噛み締めつつハンドルを握っていた。
背後でビニール袋が音を立てる度に緊張が走る。
原通りへの合流を15㎞/hでの超緩やかコーナリングででクリアした。夜中の交通量だから、こんな速度で曲がっても誰にも迷惑はかからない。
ここからは歩行者信号でタイミングを見極めながらの走行となる。周囲に1台も車がいなければ、速度を調整して停止の回数を減らすことも可能だ。
前方が赤信号でも、交差する道路の歩行者信号が点滅し始めれば惰性走行で停止状態を回避する。
青信号であっても、距離から逆算し間に合いそうになければ歩行者信号の点滅よりも先に減速を開始する。
間に合うかのギリギリを攻めるより、急ブレーキを避ける必要がある。
かくして早良口交差点まではノンストップで走った。そこから早良区役所を左折し、山王病院前を通過して急患センターが見えてきた。百道浜小学校前のコーナーも滑らかに決め、ゴールはすぐそこ。
ここからが正念場である。
4年前の悲劇は繰り返さない。
先ほどの15km/hよりもゆっくりの8km/hコーナリングで交差点を右折。直後にそのままの速度で駐車場へ。無事入り口前に停車させドアを開けた。実車時間は15~20分ほどだったと思うが、今までのどのお客さんよりも長く感じた。
「お大事になさいませ」とどこかの薬局で聞いた挨拶で病院へと送り出した。その後おばちゃんがどうなったのか、何が原因だったのかは知る由もない。もし知る機会があるとすれば、別の日に同じお客さんがアプリを鳴らしてくれた時だが、それはまた別のお話。
これから梅雨になり、湿度と気温がぐんぐん上がる季節。去年も今ごろから熱中症と思われるお客さんをどこかしらの病院へ送り込んだ覚えがあります。
水分補給はこまめに、冷房は適切に。そしてそんな時のためにタクシーにも緊走できるようにしてほしい。そんなことを思う塩っペなのでした。
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